平成12年5月大相撲で83年ぶりの「モロ出し」事件
大相撲あるいはアマチュア相撲において、「まわし」が緩んで局部があらわになった場合には、「負け」であるとされています。
このルールは多くの方がご存知かと思いますが、そのときの決まり手は、「モロ出し」というのか、いわないのか、疑問に思っている人も多いのではないでしょうか。
こんなめったにない決まり手の時に行司は素早く「モロ出し~っ」と言えるのでしょうか。
東三段目56枚目の「朝ノ霧」が一躍有名人に
そんな「モロ出し」事件が実際にありました。
2000年(平成12年)5月14日付け「日刊スポーツ」では、「見えてる見えてる…大相撲83年ぶりモロ出し」とのタイトルで報じています。
本文では、"本割では83年ぶりの大「チン事」"とも。
事が起きたのは、2000年5月場所7日目、自己最高位である東三段目56枚目に昇進した「朝ノ霧」は、千代白鵬との対戦で行司の待ったも間に合わずに陰部があらわになってしまったのです。
このことは、翌日の日刊スポーツにおいて一面トップに掲載されたほか、ロイター外電により世界にも配信されました。遠くイスラエルの新聞でも1面を飾った(?)とのことです。
テレビ中継では「お尻」のみ公開
当時の「若松部屋日記」によると、大相撲がスポーツ紙のトップを飾ることが少なくなってきた時期に、「朝ノ霧」の“チン事”で日本中が沸いたことで、支度部屋ではこの話題でもちきり。
若松部屋自慢のイチモツだった
心配された当の「朝ノ霧」ですが、事件直後はさすがに落ち込んだようです。
一時的に痩せたことも廻しが外れた一因だったようですが、帰りがけ協会事務所でまわしを新しく購入し、部屋に帰るなり黙々と折っていたそうです。
※古い廻しは後年、好角家の漫画家・やくみつるに譲渡されたとのこと。
ところが翌日以降、新聞一面で取り上げられるなど、一躍時の人になったことで、気持ちは少し変わったようです。 部屋では、周りから「出したのが部屋で一番でかいフクちゃん(朝ノ霧のこと)だったから良かったよな」と言われたことが、気持ちよかったようです。
とはいえ、翌日以降「朝ノ霧」の取組時にはカメラのフラッシュが集中したりして取組に集中できなかったとのことです。
NHKの衛星放送中継直後のハプニング
それにしても、テレビ中継に映らなかったのでしょうか。 このことについては、当時の「若松部屋日記」を引用します。
衛星放送中継直後で、全国にも放映され、画面ではお尻の割れ目しか見えなかったが、どうも見たことの あるお尻だと思ったら若松部屋朝ノ霧であった。
引用若松部屋日記
「モロ出し」という相撲用語は無い
相撲の取組中に廻しの前袋が外れて局部が露になるよ「不浄負け(ふじょうまけ)」といいます。
日本相撲協会寄附行為施行細則附属規定の勝負規定 第16条により「前褌がはずれて落ちた場合は、負けである。」と規定されています。
これは、決まり手あるいは勝負結果の正式な名称ではなく、一種の反則負けのようなものです。
そして「モロ出し」というのは、取り組みの体勢のひとつである「もろ差し」(自分の左右の腕を対戦相手の脇の下に入れている状態)をもじって、面白おかしく言っているだけのことで、相撲用語に「モロ出し」という言葉はありません。
時の人となった若松部屋「朝ノ霧」のその後
1992年(平成4年)に若松部屋に入門した「朝ノ霧」(本名:吉村 福満 兵庫県明石市出身)は、小柄な体形や顔面神経痛、兄弟子とのコミュニケーション下手などのことから誰もがすぐにやめるだろう危惧されていました。
しかし、熱心に稽古に勤しみ徐々に力を付けていき、同期生7人の中でただひとり生き残ったといいます。
画像出典朝ノ霧の部屋
涙の断髪式にアノ対戦相手が
平成13年3月26日、若松部屋の千秋楽打ち上げパーティの場で、朝ノ霧の引退断髪式が行われました。
100名を超える人たちがハンカチで涙を拭く朝ノ霧の大銀杏にハサミを入れました。
千代白鵬と対戦したのは、「モロ出し」の時の1回限りでしたが、この取り組みが縁となり、千代白鵬が朝ノ霧の断髪式に出席して鋏を入れたとのエピソードが残っています。
引退後は大阪市内で再出発
引退後は、大阪市内で新しい人生をスタートさせています(若松部屋日記より)。
スーパーマーケットに勤めていたとの情報がWikipediaに掲載されていましたが、その後の行方は公にはなっていません。
髪結いは床山以上に上手いと評判だったそうですが、まさか美容師にはなっていないでしょう。
2018年6月現在の年齢は41歳。どうか素敵な人生を送っていることを願いたいものです。
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