9月といえば東京では30度超えの日々が続く暑い季節。なのに太田裕美は「九月の雨は冷たくて」、エレカシも「冷たい冷たい九月の雨」、ハウンドドッグも「九月の雨は少し冷たくて」と歌っている。なぜなのか不思議でならない。この記事では、その真相に迫りたい。
太田裕美は「九月の雨は冷たくて」と歌った
かつて「九月の雨は冷たくて~」と太田裕美は歌いました。
大ヒット曲「九月の雨」の歌詞ですが、温暖化が進む昨今、とても九月の雨が冷たいだなんて、ピンときませんね。
9月の東京は、上旬の平均気温が25度前後、下旬でも20度以上、最高気温は30度を超える日もザラです。
いったい、どうして「九月の雨は冷たい」のでしょう。
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エレカシもハウンドドッグも「九月の雨は冷たい」と歌っている
これが太田裕美の「九月の雨」だけなら、まだ良いとしても、エレファントカシマシの「九月の雨」の中でも「冷たい冷たい九月の雨~」と歌われているのです。
そしてなんと、ハウンドドッグも「SEPTENBER RAIN」という曲の中で、「九月の雨は少し冷たくて」とうたっているではありませんか。
9月の東京は30度超えもある暑い季節なのに、どうして「九月の雨が冷たい」だなんて歌えるのでしょうか。
ルーツは海外にあった
実は、「九月の雨」を歌った曲は、海外にもあります。
盲目のジャズ・ピアニストのジョージ・シェアリングのスタンダード・ナンバー(1937年)に「Septenber in the Rain(九月の雨)」という曲があります。
彼はイギリスに生まれアメリカ合衆国に気化、91歳のときニューヨークで亡くなっています。
「春なのに心は9月のまま」と
この曲は、ジョージ・デヴィッド・ワイスにより歌詞がつけられ「<和訳>たとえ春だとしても わたしのこころはまだ9月」数々のシンガーに歌われました。
一方で、ダイナ・ワシントンやフランク・シナトラなどによって歌われたハリー・ウォーレン作曲、アル・デュビンの詞による「Septenber in the Rain(九月の雨)」でも、「<和訳>春がやってきたのに 私はまだ、あの9月の雨の中にいる」と歌われています。
これらはおそらくジョージ・シェアリングの曲が原曲となって、クレジットされている作曲者・作詞者は違っても、一連のコンセプト上にあるのでしょう。
この時代の楽曲の在り方は、筆者にはよくわかりませんが、曲調や歌詞が微妙に異なりながらも同じ原曲から派生した同一の楽曲群とでもいいましょうか。
ともかく、歌詞の中で、はっきりと「九月の雨は冷たい」とは言ってませんが、「春なのに、心は九月のまま」という表現の裏返しとして「九月の雨が冷たい」と解釈できます。
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「冷たい」のはニューヨークの気候か、それとも傷ついた心なのか
太田裕美の「九月の雨」を作詞した松本隆は、ジョージ・シェアリングが暮らしたアメリカ北東部ニューヨークの気候をイメージしたか、あるいは、前記の歌詞の解釈から「九月の雨は冷たくて」と書いたのでしょう。
では、エレファントカシマシやハウンドドッグはどうして「九月の雨」を冷たいと歌ったのでしょうか。
世代的に、太田裕美の「九月の雨」を連想したと考えるのが自然でしょうか。
真相はわかりませんが、夏の恋が終わる9月というのは、気温に限らず、心の中に冷たい雨が降るのかもしれません。
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