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小原勝幸は冤罪か?岩手17歳少女殺害事件に関わるあまりにおぞましい疑惑の数々!

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2008年夏、当時17歳の少女が行方不明となり岩手県の山中で遺体となって発見されました。死因は頭部の外傷か首の圧迫とみられ、首を絞められ瀕死の状態となった後に橋から突き落とされた可能性が高いとみられています。

この「岩手県少女殺人事件」の犯人とされる小原勝幸容疑者。重要指名手配のポスターに掲載されている顔写真を見たことがある人も多いと思います。

しかし、この事件、きわめて冤罪の可能性が高いということをご存じでしたでしょうか。

 

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事件のあらすじ

・指名手配されている小原容疑者がチンピラの親分から紹介された仕事がつらく、わずか1週間で逃げ出してしまったことで、親分の恨みを買います。

・半年後、小原は弟に付き添ってもらい親分宅を訪れ詫びますが、逆に日本刀の先を口に入れられ脅されたほか、包丁で指に負傷します。そのとき、迷惑料120万円を要求され、さらに保証人として交際相手Aの名前を書いてしまいます。

・小原はお金を用意できずに逃げ回りますが、その後、交際相手Aにも親分から電話がかかってくるなどしたため、警察に被害届を提出します。

・その数週間後、小原は被害届を取り下げようと交際相手Aに相談しますが拒まれます。

・その直後、小原は、交際相手Aと同姓同名の知人である少女Bを呼び出し、少女Bは行方不明となります。

・小原は警察に対し被害届の取り下げを申し出ますが断られ、小原の父親も同様に警察に電話しますが、被害届の取り下げは拒まれます。

・その間、小原は右手の指が動かなくなるほどの怪我を負い、病院を受診しています。

少女Bが失踪してから4日後、2008年7月1日、少女B岩手県の山中で遺体となって発見されます。

・その日、小原は別の場所で自損事故を起こしており、実家に宿泊しますが翌日、自殺の名所とされる断崖絶壁の上で目撃されたあと、行方が分からなくなります。

・警察は、小原が少女Bを殺害後、偽証自殺をして逃げたとみて、指名手配しました。

・被害者の死亡推定時刻は、岩手医科大学による司法解剖の結果、2008年6月30日から7月1日にかけてとされました。

・その時間帯に、小原容疑者には明白なアリバイがありましたが、警察はその後、死亡推定時刻を6月28日から7月1日まで、と不自然に拡大しました。

・警察は、重要指名手配犯として懸賞金をかけ情報を求めていますが、ろくに捜査されることなく、被害者家族と容疑者家族は独自の調査結果を岩手県警に提出するとともに再調査を求めるなど異例の展開となりました。

・2010年頃から冤罪疑惑が浮上し、テレビ番組や週刊誌でも紹介されるようになりました。

・ところが、この事件を解明しようと追い続けていたジャーナリストの黒木昭雄が謎の死を遂げたことで、疑惑はさらなる闇へと追いやられ、怪事件として未だに噂や憶測がくすぶり続けています。

※闇の権力が、この事件の真実を隠そうとしているのでしょうか。

 

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事件に関わると思われる出来事(時系列)

●2006年10月頃【小原がX氏に紹介された仕事から逃げる】

2006年10月頃、小原勝幸は、三陸地方の沿岸部に住む30代の男性(X氏)の紹介で、関東地方の型枠大工の仕事に就くが、仕事の辛さに耐えかねて1週間足らずで仕事場を逃げ出した。このことで小原はX氏の恨みを買うことになる。

 

●2007年2月頃【小原が同姓同名の佐藤梢A、Bと知り合う】

2007年2月頃、宮城県登米市内のショッピングセンターで、小原とその友人が佐藤梢Aと同姓同名の佐藤梢Bをナンパして知り合う。その後、小原と佐藤梢Aは交際を始める。ちなみに同姓同名の佐藤梢Aと佐藤梢Bは親友である。

 

●2007年5月1日【小原がX氏に謝罪するも逆に恐喝される】

2007年5月1日、小原は弟に付き添ってもらい、X氏宅に詫びに出向く。

このとき佐藤梢Aは、X宅に入らず車の中で待機。

X氏は「俺の顔をつぶした。迷惑料として120万円を払え」と、小原に日本刀をくわえさせるなどて脅した。このとき、指に包丁を当てられ小原は軽傷を負っている。

「保証人を立てろ」というX氏に対し、小原は弟に頼もうとするが拒否され、車内で待っていた佐藤梢Aに断りなく佐藤梢Aの指名と携帯番号を借用書に書いた。この一部終始を小原の弟は目撃している。

 

●2008年6月3日【小原が被害届を提出】

2008年6月3日、小原は佐藤梢Aを伴い、岩手県警久慈警察署を訪れ、X氏を被疑者とする、銃刀法違反、傷害、そして恐喝事件の被害届を提出した。4つの金を払わず逃げ回っていた小原だけではなく佐藤梢AにもX氏から電話がかかってくるなどしたため被害届の提出を決意したと思われる。

 

●2008年6月28日【佐藤梢Aの代わりにBが呼び出される】

2008年6月28日の昼頃から被害届の取り下げを佐藤梢Aに相談するが梢Aはこれを拒否。このとき、佐藤梢Aは気性の激しい小原から逃げ実家に身を寄せていた。

 

6月28日夜10時過ぎ、佐藤梢Bが小原に呼び出され、午後11時頃に宮城県登米市内のコンビニの防犯カメラに映る。

 

●2008年6月29日【右手に怪我を負った小原が病院を受診】

6月29日午前2時過ぎ岩手県盛岡市内のガソリンスタンドの防犯カメラに、右手に白い布を巻いた小原容疑者の姿が映る。 同日朝9時頃、小原は、岩手県田野畑村盛岡市から約100キロ)の弟(次男)の家に現れる。この日の午後、弟夫婦に付き添ってもらい病院を受診。担当した医師によると右手の指がすべて動かせないなど機能障害の状態。

 

●2008年6月30日【被害届取り下げ失敗】

6月30日昼頃、小原は久慈署の担当の千葉警部補に恐喝の被害届の取り下げを申し出ているが、断られた。

 

●2008年7月1日【佐藤梢Bの遺体発見】

2008年7月1日午後4時半頃、岩手県川井村の山中橋の下(田野畑村からは2時間くらいの距離)で佐藤梢Bの遺体が発見される。死亡推定時刻は、6月30日から7月1日にかけて(岩手医科大学遺体検案書)。

後に岩手県警は、死亡推定時刻を6月28日深夜から7月1日午後4時半までの4日間に広げている。

小原は、7月1日の朝に幼馴染の男性宅を訪れる。夕方5時頃、「買い物のため」と言い、いったん男性宅を出て午後8時頃に戻る。戻ってきたときに様子が豹変しており、顔は青ざめ車の運転席に座ったまま泣きじゃくっていた。 その後、夜9時頃 小原は、田野畑村の県道で単独自動車事故を起こし、発見した人により田野畑村の実家まで送られる

 

●2008年7月2日【小原が自殺名所の断崖へ】

自動車事故後、小原は、実家に宿泊、7月2日早朝、父親に「久慈署に行く」と言い残し、親戚に「車が故障したから思惟大橋まで乗せて行ってくれ」と頼んだ。しかし、何度も行先を変更したあげくに鵜の巣断崖の手前で車を降りた。

午前9時27分弟にメール「サヨウナラ 迷惑な事ばかりでごめんね」、同じ頃、さきほどの男性知人に電話をし「今、鵜の巣断崖にいるところだ。飛び降りるところだ。世話になった」と伝える。

男性がスクーターで現場にかけつけると、断崖上の松の木のふもとで携帯電話で話す小原。その様子から大丈夫だと判断して、男性は帰った。会話の内容から電話の相手は久慈署の刑事だと思われた。

 

●2008年7月3日【小原の"遺留品"発見】

鵜の巣断崖の掃除に来ていた田野畑村の職員により、小原の遺留品が発見される(タバコと青地に赤い縞模様のサンダル)。

 

 

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なぜ、小原は被害届を取り下げようとしたのか?

6月28日夜、佐藤梢Aさんと同姓同名の佐藤梢Bさんが行方不明となっています。

2日後の6月30日、小原が被害届を取り下げたい旨を担当刑事に申し出ました。しかし、刑事からは「あと2,3日で逮捕するから取り下げないでほしい」と告げられたといいます。

小原勝幸が被害届の取り下げを申し出た背景には、何者かによって被害届を取り下げるように圧力がかけられていたと考えるのが自然です。圧力をかけた相手は誰なのか?普通に考えればそれはX氏でしょう。

X氏が、自分に捜査の手が及んでいたことに気づいていたとしたら、小原に被害届を取り下げるように迫ることは容易に想像がつきます。

被害届の取り下げに失敗した小原は、さらに脅しを受けたのでしょう。小原の右手の怪我がそれを物語っているのではないでしょうか。

そして、その間、佐藤梢Bさんは人質として拘束されていたのかもしれません。 

 

 

7月1日の夕方、小原は何を知ったのか?

小原は、7月1日の夕方5時頃、「買い物のため」と言い、身を寄せていた男性宅を出て午後8時頃に戻ります。戻ってきたときに青ざめた顔で取り乱していた小原。外出していた数時間の間に何があったのでしょう。

実は、小原が男性宅から外出する少し前の4時半頃、車で2時間離れた川井村の沢で、佐藤梢Bさんの遺体が発見されていました。

外出している間に小原は、何等かの手段で佐藤梢Bさんの死を知ったのでしょう。

7月2日小原はどこへ向かおうとしていたのか

 7月2日の朝「久慈署に行く」と言い残して実家を出た小原は、親戚の男性に依頼し車に乗せてもらいました。何度も行先を変更したのちに、鵜の巣断崖の手前で車を降ります。最初から行先は決まっていなかったのでしょうか。

自分が受けた恐喝事件に佐藤梢Bを巻き込ませたことへのショックとともに、身の危険も感じていたはずです。なぜ、久慈署に行かなかったのでしょう。疑問が残ります。

 

 

遺留品は本当に小原のものなのか?

小原の遺留品として断崖の上で発見されたものは、タバコとサンダル。

しかし、小原は実家を出るときにタバコは持参しておらず、親戚の証言でも途中でタバコを買っていないことが判明しています。そして、小原が履いていたサンダルは白色なのに、現場に残されたサンダルは青地に赤い縞模様。

岩手県警は、小原が佐藤梢Bさんを殺害後、自分は自殺を装って逃亡した、という筋書きを立てました。

しかし、この場所から人目に付かずに徒歩で逃亡するのは困難であると考えられています。

なぜ、佐藤梢Bが殺されたのか

X氏に捜査の手が及んでいたとすると、それに気づいたX氏は、小原に被害届の取り下げるよう迫ったでしょう。しかし、小原は被害届の取り下げに失敗してしまいます。

被害届を取り下げるまで、X氏は、連帯保証人である佐藤梢Aを人質に差し出すよう要求したのでしょうか。ところが、この時、佐藤梢Aは小原から逃げて実家に帰っており、小原からの電話には出ませんでした。

小原は代わりに、同姓同名の佐藤梢Bが呼び出したことで、佐藤梢Bさんは事件に巻き込まれてしまったのでしょう。

28日の夜、小原とコンビニで落ち合った佐藤梢Bさんが遺体で発見されるまでの間、どこに居たのかは不明です。

 

 

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不可解な岩手県警

岩手県警は恐喝事件の容疑者を逮捕する前に、その関係者から犠牲者を出してしまったことになります。県警はその事実をきちんと受け止める必要があります。

しかし、関係者の問い合わせに対して、被害届が受理されたのかどうか、県警は、明言を避けています。

そればかりか、恐喝事件の被害者である小原を殺人事件の犯人であると決めつけ、懸賞金までかけて指名手配しているのです。

物的証拠が無いにも関わらず、被害者の死亡推定時刻にアリバイのある小原を、どうして犯人だと決めつけることができるでしょう。

そもそも、小原には佐藤梢Bさんを殺害する動機すら無いのです。

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小原はどこへ行ったのか?

小原勝幸の遺体は見つかっていません。そこで警察は小原が自殺を装って逃亡したという筋書きを作りました。

しかし、小原はもう既にこの世に居ないかもしれません。だとしたら、懸賞金をかけて情報を求めても潜伏情報など出てくるわけがありません。永遠に迷宮入りというわけです。

全てを知っている小原は、県警にとっても、X氏にとっても都合の悪い存在です。

 闇の力によってこの世から消されているのかもしれません。

 

 

殺人事件の真犯人は誰なのか?

恐喝事件の張本人はX氏だとしても、佐藤梢Bさんを殺害したのがX氏だとはいいきれません。しかし、少なくとも殺人事件の真犯人は、事情を知っている小原の口封じをしたいと考えるのが自然です。自殺を偽装して殺人容疑を小原になすり付ければ永遠に迷宮入りに出来るわけです。

真犯人は、県警の失態隠しに便乗して、逃げ切ることができるのです。

恐喝事件の捜査はどうなった?

恐喝事件の被害届が受理されているならば、岩手県警は被疑者を逮捕することができるはずです。被害届を取り下げないように小原に回答したのにも関わらず、その後、捜査が行われた形跡が無いのはなぜでしょう。

一連のやり取りから、被害届が出されていたことは明白でありながら、県警はその後、被害届の有無自体をうやむやにしているのです。

 

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不審な死を遂げたジャーナリスト

2010年11月2日 千葉県市原市で、駐車した車の中で警察ジャーナリスト黒木昭雄さんが死亡しているのが発見されました。車内から燃えた練炭が見つかったことから警察は自殺と断定し司法解剖は行われませんでした。

黒木氏は、周辺に「自分が死んだら殺されたと思ってくれ」と話していたといい、これらのことから、黒木氏謀殺説がささやかれるようになりました。

一方、週刊ポスト2010年11月19日号によると、黒木氏とともに事件取材に当たっていた平松総合調査事務所の平松直哉代表は死の翌日にタイマー設定で送られたと思われる黒木氏からの携帯メールを受け取っているとのことで、平松氏は家族あての遺書も見たとのことでした。知人の清水勉弁護士にも遺書が送られているそうですので、自殺というのはほぼ間違いないのではないか、と言われています。

ところが、同年12月19日に都内ホテルで黒木氏と親交のあったジャーナリストらが集まる機会があり、黒木氏の長男がこう言っています。「父は自殺したのではない。殉職だと思っています」

この発言は、外形的には自殺かもしれないが、事件の真相を追う中で追い込まれた状況なのだ、ということを言いたかったのだと解釈できます。

何が黒木氏を自殺に追い込んだのか。今となっては闇の中です。

 

 

ネットでは実名が晒されているチンピラの親玉X氏

小原を恐喝したといわれているX氏について、前述の黒木氏らは、接触して取材しています。このときX氏は「2,3回頭を殴っただけ。本人には出てきて本当のことを話してほしい」と話したらしいのです。X氏が誰なのかは関係者は把握しています。

X氏は、小原の実家がある田野畑村のとなりまち「普代村」に住んでおり、今は妻も子もいます。ただし先の東日本大震災により何らかの状況の変化はあるかもしれません。

当時の2ちゃんねるでは、地元住民がこのX氏の名前をほのめかす投稿がいくつもありました。フルネームや住所を正確に書き込んでしまうと、刑法に触れるため、ギリギリの投稿が見受けられますが、総合すると住んでいる区域とフルネームが判明します。

つまり、地元では、「アイツが黒幕だ!」「村から出て行ってくれ」と多くの人が感じているのです。

事件から10年 風化させるな

事件発生から10年がたち、冤罪事件として語られているものの、当事者が行方不明であることもあり、公に真実を追求する動きが乏しいのが現状です。

ツイッターアカウントが2010年5月から、ずっとこの事件に関するツイートを続けています。

ジャーナリストの黒木氏を知る者なのでしょうか、それとも、小原の周辺の人物なのでしょうか。

テレビ番組の映像より 

youtubeより「岩手県少女殺害事件の真相」その1>

 

youtubeより「岩手県少女殺害事件の真相」その2>

 

youtubeより「岩手県少女殺害事件の真相」その3>

 

youtubeより「岩手県少女殺害事件の真相」その4>

 

2019/11/01寺澤有氏のnote

note.com

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